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改めて自己紹介をしようと思う


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改めて自己紹介をしようと思う。


名前:小川徹也

誕生日:1月1日

出身:広島

年齢28歳


学歴:広島市立古田小学校→広島市立古田台小学校→山口県岩国市立由宇小学校→広島市立古田台小学校→広島市立古田中学校→広島私立山陽高等学校→東洋学園大学卒 人文学部 国際コミュニケーション学科卒


職歴:株式会社コープサービス→トヨタ期間工:田原工場→株式会社愛総合福祉→小島松風

園→短期警備バイト→現在の商業施設管理人


趣味:エロ画像集め、オナニー


という感じ。


幼少期、家庭は崩壊していて両親が離婚、母親と山口県に移住して暮らしていたが、親父が飲酒運転で事故って死んだのを機に元の広島の実家へ出戻る。


小中学生時代は基本的にいじめられっ子であったのと同時にこの時期自分ルールに縛られやたらとウンコを漏らす。だが中学1年の頃オレは輝いており、カリスマ的存在感を放ち周囲の人間から一目置かれる存在であった。しかし中学2年生の時、そこそこ権力者である小浜というヤツに「だからお前嫌われるんだよ」との発言をした事によりオレのランクは一挙に地に落ちる。中学3年生の際には周囲のオレに対する態度が軟化、しかしオレにとってもうそんな事はどーでも良く仲の良い友達も居ないし、授業中もシャーペンを弄って遊んでるだけで勉強するワケでもないので学校に行く意味が無いと思い、無断で帰る事を覚える。友達がいない事によりこの頃からオレの生活パターンは変わり、以降ずっとネットに噛り付くようなタイプになった。


その後全く勉強していなかったため高校はクソ馬鹿な山陽高校へ入学。


中学まであまり運動をしてこなかったのだが高校に入りヒマなので極真空手同好会へ入部、それから格闘技をちょくちょくやる様になる。本当はボクシング部に入りたかったのだが自分のデブった腹を見せながら戦うのがイヤという理由から極真空手同好会で妥協した。


基本的に授業中寝ずに起きてさえいれば5段階評価で5を貰える様な学校であったのでアホだが通信簿の成績だけは良かった。大学になどハナから行くつもりはなく、というより卒業付近まで自分が学校という場所を卒業してから何をするのかという事を考えたことすら無かった。その後学校の就職課でテキトーに漁った給料が良いというだけの理由で選んだネジ工場の求人票を母親に見せると却下され大学へ行けと促される。


AO入試で日東駒専レベルの大学には入れたのだが何故か語感のフィーリングだけで東洋学園大学人文学部国際コミュニケーション学科へ進学。在学中にアメリカのUCI付属の語学学校へ8ヵ月留学したが今の今までその経歴が活かされた事は無い。


大学卒業間近、働きたくなかったが仕方なく株式会社コープサービスへ入社、1ヵ月と数日で退社。以降は職を転々としながら生活をする。


将来は金を貯めて田舎に安い土地か山を買い、そこに小屋を建てて一切他人から指図されず労働もやらされず引き籠って暮らすか、生活費の安い外国に移住し暮らす事を目標に今日も生きている。


以上。

 
 
 

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