top of page

愛想振りまくのがもうめんどくさい

更新日:2022年10月11日


ree

愛想振りまくのがもうめんどくさい。


どのジャンルにおいても最近どうでもいいものに対して無駄なリソースを割くのを嫌っている。


例えば職場での会話。1人勤務なので仕事中誰かと喋るという行為は基本的に発生しないのだが交代の際に前任者の爺さんと申し送り等の会話が発生する。別に仕事上の必要な話は良いがそれ以外の通常会話が怠すぎる。


黙っててもする事がないからなのか大して喋りたくもない様子なのに手持無沙汰的に何となく話をオレに振ってくる。別に面白い話をしろと言ってる訳ではない。「今日は寒いね」的なもの凄い当たり障りのない意味のない会話を毎回連発される。あと最近ビルの防災設備点検があったがそこの業者の奴も社交辞令でお仕事感満載で話を振ってきてた。こういう経験が積もって辟易しているのである。


また職場の爺さんがコロナワクチンを打っているのかどうかを遠回しにカマかけてきてた時期もあってそれもウザかった。気になるならダイレクトに聞けば良いのにかなり回りくどいやり方で長期間オレがワクチンを打ったのか否かを問うてきてた。しかも打ってなかったら絶対気にする癖に自分はワクチンを打っていようが打っていまいが気にしていない風なニュアンスを醸し出しつつ展開されるつまらない会話はオレに興味関心のないどうでも良い奴等とのコミュニケーションって心底怠いなと思わせる。


あまりにも長く遠回しに聞いてくるのでめんどくさいから打ってない旨返答した。後日上司が見回りに来た際にワクチンを打ってない事をやんわり注意されたのでそのジジイがチクりやがったんだと思う。こういう回りくどい中身のないコミュニケーションを試みてくる

連中のせいでオレの感情は死んでゆく。


昔から無駄な時間っていうのが嫌いだった。満場一致で全員が帰りたいと思ってるのに何となく続けてる会議とか「これお互い時間使ってる意味ある?」みたいな必要性を感じない意味のない行為をするならさっさと家に帰った方が全員ハッピーなのにそれを言い出さないアホ共にずっとイラついてきた。


しかしこういった考えでありながらも前までは興味ある風な受け答えをしてやらなくてはならないという寛容な気持ちとサービス精神が自分の中にあったのだが、今現在日常で触れ合う他人や他人と行うコミュニケーションは上記のような連中ばかりである事と人間全般に飽き飽きした事もあり愛想が尽きた。今では何かしょうもない話題を振られても「へー」「ふーん」とか言いながら興味なさげにつまんねえTwitterとか見てやり過ごす、他人に合わせるという行為が元々めんどくさいという性格の上、これまでの経験によりほぼメリットがない事の学習をしたためそういう行為に手間を割くのをやめた。


その結果、道を聞いてきたババアを無視して素通りしたり、オレの目の前で自転車ごと倒れたおばちゃんに声もかけずにそのまま歩いていく人間に成長したのである。道を聞かれてもオレは知らないし、自転車は自分で起こして立てば良い。


知りもしない道を聞いてきたババアと「いや僕知らないんですよ」と問題解決に何の寄与をしない無駄な会話のために自分の大事なスタミナを消費するのがめんどくさいし勿体ない、また自転車で倒れたおばちゃんに「大丈夫ですか」と近寄って手を差し伸べるフリをする必要もない、仮に全身の骨を複雑骨折して立てない状態であったとしてもオレがそれを助けて何かメリットがあるのであろうか?そんな意味のない行為をとりあえずで行う愛想を振りまく自分はもうこの世に存在しない。前からこういう性格ではあったがとうとうそれを実際の行動に落とし込んでいく時期にやってきたのだ。


この世の全ては無駄である。


目覚めよ。

 
 
 

コメント


bottom of page