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オレの大学4年間の話


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オレは2ヶ月だけプロボクサーを目指したことがある。


オレのこれまでの格闘技遍歴はを羅列しよう。極真空手2年、ボクシング2ヶ月、MMA1ヶ月、キックボクシング5ヶ月。


これだけ色々属した経験はあれどマトモにやっていたと言えるのは極真空手とボクシングだけだ。MMAは初心者クラスに1回出ただけだし、キックボクシングは5ヶ月の間に2回しか通ってない幽霊部員だった。


高校時代に極真空手をやっていたオレは将来はプロ格闘家になろうと思っていた。当時興味のある事であったし成功すれば大金が入ってくる。10代で世界チャンピオンになり一生涯遊んで暮らせる程の大金を稼ぎ切り、以降の人生は誰の言いなりにもならず、自分が好きな時に好きな事だけをやる悠々自適な隠居生活を送る算段だったのである。


そんな野心を胸にオレは上京して大学に行きつつすぐに新松戸にある高橋ボクシングジムに通い始める。


これまで基本的にデブで人生を生きてきたオレはこの時期劇的な変化を遂げる。学校が終わってから特にやる事も無かったので夕方頃からランニングと筋トレ、その後にジム通いという生活を欠かさず行っていき体重はガンガン減っていった。ジムでも4時間ぐらいずっと練習していたし将来プロになり試合に出る事を想定し減量に慣れておくために食事制限もやっていたので1ヶ月足らずで相当痩せた。


しかし2ヶ月で挫折し辞めた。理由は「自分はプロとして大金を稼げる程のレベルになるのは無理そうだ」と思ったからである。何故そうなったかと言うと毎日ランニングしたり筋トレしたりジムで練習したりという生活パターンがキツかったからだ、プロになり大金を稼ぐレベルまでになるにはこの生活をずっと繰り返す人生が続いてゆく、それが無理そうだったので意味がないと思って辞めた。


ボクシングを辞めてからというものオレはブクブク太り始めた。


その後やる事も無いので行政書士の資格を取って学生時代に独立してやろうと思い勉強を始めた。しかし資格勉強というのは非常につまらない、それに加えネットで「今士業は飽和状態で独立したとしても金が稼げない」という情報を見てどこかの事務所に属してサラリーマンとして働くなら意味がないと思いアホらしくなって辞めた。


オレはこの大学生活で何かを成さなければならないと思っていた。何故なら安月給で他人にコキ使われたくなかったからである。高校生の時分に「アバンセ」というスーパーでバイトををしていたのだがそこで働いている社員連中を見て「普通に学校を卒業して普通に就職してしまうとこんなしょうもない人間になってしまうんだ」と思った、楽しそうでなかったし金も稼げない、やりたいというワケでもない、ただ生活費のために働いてたら年だけ食ってそこから抜け出す体力や気力が抜け落ち何となくそこで働いて生活するには困らない程度の金だけ投げられてるっていう事を繰り返している内に自分で何かを考え行動するという行為を忘れた脳死状態の生き物になるという事が非常にイヤでしかたがなかったのである。


という事でオレはそういう連中と同じにならない様に会社という組織に属さず、自分で金を稼ぎ生きていきたかった。


しかし行政書士になる事を諦めて以降は特にある程度自分が興味のある「コレならいけそう」というモノが見つからない。次第にオレはスーパーで買った菓子やコンビニ弁当を片手に家の中でダラダラするのが日常になっていった。


そして大学2年の時期、オレは母親に金を出して貰いアメリカのUCI付属の語学学校へ8ヶ月留学した。洋画で育った世代であるオレはアメリカに憧れがあったというのがあるのと同時に、出来るだけどこでも生きていける場所を選ばない柔軟性のある人間になりたかったという事もあり英語習得のため行った次第である。今思えば良かった事もあるが掛かった金を勘案してみれば費用対効果としてはかなりビミョーなものであったかもしれない。しかし恐らくこの時アメリカへ行っていなければ人生の選択肢の一つとして外国へ出るという考えを併せ持つタイプの人間にはならなかったであろう。後から母親に聞いたらこの時のオレの留学費用は飲酒運転交通事故で死んだ親父の死亡保険金から出ていたらしい。


アメリカから帰ってきて3年生が始まる。アメリカでも最初の1ヶ月目以降は家でダラダラするという生活が基本であったのだが、帰ってきてもそれは同様、目標も何もなくスーパーやコンビニでお菓子とか買ってきてゲームしたりオナニーしたりしながらひたすらダレた日々を過ごしブクブクに太り上げる。


オレはこの時期とにかく何か人生の指針みたいなものが欲しかった。「自分で金を稼ぎ生きていける」という条件を達成でき、尚且つ自分が興味のある事、そういうモノが欲しかったのである。同時にメンター的な人間も欲していた。そういう人間から「お前はこういうタイプだからこれをやれ」みたいな事を言われたかった。そのどちらかが存在すればこの時の自堕落な日々から抜け出し何かを能動的に行う人間になっていたのかもしれないがそんなモノは無かったしそんなヤツもいなかったのでひたすら家の中で物を食いながらダラダラした。


オレは大学入学時に通っていたボクシングジムを辞めて以降、自分の人生に停滞感を感じていた。そして常にイライラしていた。この状態で何も成さぬまま学生生活を終えてしまえばやりたくない事を安月給でやらされコキ使われるだけの最悪な人生が待ち受けている。そんなルートに1度でも足を踏み入れてしまえばもうそこからは抜け出せずそのままズルズルと行ってしまう様な気がしていた。この時期に自分で金を稼ぐ術を見つけられず就職して会社員になるという事は人生のゲームオーバーを意味する。


そしてこの頃オレは学校の図書館である本を借りて読む。各国有名政治家達がどんな暮らしを送り何を考え他の候補者や他国の首脳とどの様に渡り合っているかという事について書かれた本だ。彼等は庶民には想像も及ばないハイレベルな生活を送り、自分の地位を維持していくため時には汚い手を使い候補者を蹴落とし、世論にアピールするためあの手この手で世界各国の主要な連中と渡り合っている。


それが当時のオレの生活や周囲を取り巻くあらゆる環境と次元が違いすぎて死にたくなった。今の自分の生活は毎日何も成さず、ただダラダラと下らない暮らしを貪っているだけの日々である。壁が薄く狭い安い学生アパート、そこで提供される貧相でショボい食事、満員電車、肥満、頭が悪くてアホでバカな何の取柄も無い学校の連中、将来の不安、ゲームオーバー的就職、ツマンねえ授業、オレの存在するこの場所はそういう連中が生活している場所とあまりにも乖離した別世界のクソ溜めである。オレの気分はどんどん落ちていき過食に拍車がかかっていった。


そんなこんなで4年生になったオレは周りが就活をし始める中で何もやらなかった。理由はサラリーマンになんかなりたくないからである。「こんな事やってるヤツは完全にアホ」と考え毎日お菓子を食いながらネットサーフィンとかして過ごす。そうしている内に年が明け、卒業2ヶ月前の1月になりオレは急に焦り始めた。


「このままではオレはニートになってしまう。」就活も何もしていないので当たり前の事なのだが、サラリーマンになりたくなかったためこの時期まで就職というイベントを放置していたのだ。急に焦りが募ったオレは就職活動を始める、業種は何となく営業に絞った。「何となく自分で金を稼ぐ感覚がある分、他の仕事よりかはモチベーションが上がる様な気がした」という理由からだ。しかしそもそもやりたい事なんて無いし働きたくもない。生活するには金が必要なため仕方なく就職するというだけである。大学を卒業してニートになるという事を回避できさえすればどこでも良かったしこんなメンドクサいだけの事なぞどーでも良かった。


そんな感じで就活を始め、面接を5社ぐらい受け農協観光というJA傘下である旅行会社の100%子会社の「コープサービス」というクソイベント会社から内定が出たのでそこへ行く事にする。結果は入社して1ヶ月ちょっとで退職した。


その後はトヨタ期間工を6ヶ月やり、介護職を1年1ヶ月やり、造園会社を5ヶ月やり、短期の警備バイトを1ヶ月やり、今の商業施設管理人の仕事へ一応は落ち着いた次第である。何回か辞めようとしたが。


こうして現在のオレは形作られているのである。

 
 
 

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